今回のインタビューは青柳花子さん(はなちゃん)。

新潟×朝活を立ち上げた初期の頃に参加してくれたことがきっかけで
今まで付き合いが続いています。

今は新潟県にある佐渡以外のもう1つの島、
粟島で保育士や民宿の手伝いをしながら暮らしています。

ずっと「粟島に住みたい」と言い続けていたはなちゃん。
夢が現実になった時は本当に嬉しく思いました。

なぜ粟島に興味を持ったのか、
島ではどんな暮らしをしているのか、
これからの島で何をやろうとしているのか。

はなちゃんと初めて出会ったスターバックス紫竹山店でインタビューしてきました。

青柳花子さん1

プロフィール

新潟市南区出身。
新潟県内の保育専門学校卒業後、新潟市内の幼稚園・保育園・レストランで働く。
在職中に訪れた粟島での体験をきっかけに、粟島に興味を持ち移住を決意。
2013年4月より粟島に移住し、保育園・民宿で働きながら、
島の魅力を外へ発信し続けている。
学生時代はバスケ部・バレー部に所属していた体育会系。

青柳花子さん Facebook
カフェそそど 粟島 Facebookページ

子どもの頃から子ども好き

わりと小さい頃から進路を決めてました。
私が小学6年生の時に弟が生まれたんですけど、
一回り歳が離れていてずっと面倒を見てたせいか、
小さいころから保育に興味を持っていました。

だから将来の仕事を考えた時には、子ども好きだからなんとなく保育士なのかなと。

保育士以外の職業がわからなかったんですね。
子どもの時ははっきりしてる仕事しかわからないから、その中でしか選べませんでした。
子ども好きなら保育士、みたいに。

なんとなく進路を決めましたけど、
なんとなくが積み重なって自分になってるような気がします。

仕事に追われる日々 人生の葛藤

進学・就職は親の思いもあり、新潟県内に留まり、
専門学校卒業後は新潟市内の幼稚園で3年働きました。
1年目は自宅から通って、2年目から職場近くにアパートを借りて1人暮らしでした。

この1人暮らしが結構きつくて・・・
高校までは家族と住んでて、専門学校は寮と、常に誰かと暮らす生活をしていたので、
帰ってから1人になるとすごく寂しかったんです。

地元の仲良しも専門時代の友人もみんな県外に行き、
社会人1年目で仕事も忙しくて余裕がなくて、近くで気軽に遊べる人がいませんでした。
家にいると不安になってて、休みの日も用も無く幼稚園に行って、
行くことで安心してたこともありました。

この時期は常に何かに追われてる感じでした。

仕事も3年目になると少し余裕が出てきましたけど、
その頃にはもう辞めると心の中で決めていて。

自分の狭まった価値観での関わり方じゃダメだと思ったからです。
視野が狭まったままだと子どもの可能性を狭めることになってしまうし、
自分の言葉の意味を理解する余裕もなくなってしまいます。

もっと自分がいろんな考えがあれば、それはこうだよって言えるけど、
余裕ないと「こうだよこうだよ!」って自分の価値観の押しつけになってしまう。
それは子どもにも自分にもよくないなと思ったんです。

子どもたちはかわいかったけど、
もっと視野を広げたい、柔軟に関わりたいという思いが強くなっていたので、
ここで一旦区切ろうと思いました。
視野広げてから戻りたければまた戻ってもいいんじゃないかと。
それで3年続けた幼稚園を辞めることにしました。

朝活との出会い 人間関係の広がり

幼稚園を辞めてから2ヶ月くらいは、
昼間にジム行ったり、街を散歩したり、ハワイに行ったり、
放心状態になってダラダラしてました。

ただ、しばらくすると貯金が減っていくことに不安を感じるようになりました。
1人暮らししてたこともあって、どんどんお金が減っていって、
生きていけるんだろうかって、その時はかなり不安でした。

仕事を辞めて3ヶ月ほど経ち、さすがにそろそろ動こうかなと思った時、
Twitterかブログで新潟×朝活を見つけて、面白そう!行ってみよう!と思って参加しました。
確か最後の1人の申し込みだったと思います。
この朝活でいろんな人の話を聞くことができて、少しずつ人間関係が広がっていきました。

朝活から古本屋をしてるいとぽんに会ったり、講演会の司会をしたり。
仕事柄人前で話す機会は多かったけど、
司会経験があって改めて人前で話すのは楽しいなと思うようになりました。

幼稚園を辞めてからしばらくは、レストランでアルバイトをしてました。

そしたらある日、私が子どもの頃通っていた保育園の先生が偶然お店に来たんです。
その先生は当時お世話になった先生で、友達のお母さんでもあります。

幼稚園を辞めたことを知らなくて驚いていたのですが、
「今人手が足りないから、うちの保育園に来てくれない?」
と思いがけずオファーをいただいたんです。

大事なことなので家族で話し合って考えて、
最終的には地元の保育園にお世話になることにして、
新潟市のアパートを引き払って地元の月潟に帰りました。

この1年はいろいろ挑戦した1年で、
経験を積んでまた保育園に戻ったことになりますね。

粟島との出会い

青柳花子さん4
粟島から出航する船

地元の保育園で1年ちょっと働いた後、2013年4月から粟島へ移住しましたが、
保育園に勤め始めた時は粟島のことはよくわかっていませんでした。
人は少なくて小さい島、くらいのイメージで。

にもかかわらず、行ったことない粟島に住みたいとずっと言い続けてきました。
スローライフ的なものに憧れていたかもしれません。

そうやって言い続けていたある時、
「実際行かないと本当のところなんてわからない!」
と思って、2012年6月に初めて粟島を訪れて2泊しました。

シーズンオフだから人が少なかったのですが、
雰囲気がすごくよくて、直感的に「ここで絶対暮らしたい!」と感じました。

もう早く粟島を訪れたくて、
2週間後の島内清掃イベント(クリーンアップ大作戦)へ島に滞在中に申し込みました。
その後は夏休みを利用して、粟島の期間限定カフェの手伝いもしたり。

島を訪れる度に「やっぱりいいな」という思いが強くなっていきました。

その後もずっと粟島に住みたいと周囲に話し続けていたところ、
知り合いから「粟島で保育士を募集している」という話しを聞いたんです。

実はクリーンアップ大作戦の時に、地元の保育士の人に島の仕事について聞いていたのですが、
その人が島を離れるため保育園を辞めることになっていたのです。
早速保育士に応募したところ、応募したのが私だけ(笑)
それで2013年4月から採用されることが決まりました。

粟島移住の後押しをしてくれたのは、島の食事です。

6月に初めて粟島を訪れて民宿に泊まった時、すごくご飯がおいしくて。
自然とおかわりをしたことに自分で驚いたんです。

「食べちゃった」っていう否定的なおかわりじゃなくて、
「おいしかったからおかわりして良かったよね」という感覚。

私は太りやすくて、太ってるのが嫌だなと思ってて、
それでも食べるの好きというジレンマを抱えてます。
ラーメン食べたいんだけど、いざ食べると苦しくなる。
これ食べたら太るんだろうなと思ってしまって。
でも残すのがもったいないから食べてしまうことが、この時期よくありました。

でも粟島ではならなかった。
ポジティブに食べられたんです。そのことが衝撃的でした。

島の人にはまだほとんど会ってなかった頃なので、
島の食事は移住を大きく後押ししてくれました。

生き方のモデル 早川ユミさんとの出会い

粟島カフェの手伝いしている頃に、
東京のカフェスローを訪れたのですが、
そのお店で「種まきノート」という本に出会いました。

書いた方は早川ユミさん
布作家で、アジアを家族で旅をしながら、自分たちの暮らしを築き上げてきた方です。
私が生き方のモデルにしてる人でもあります。

その方の書いた本を読んで衝撃を受けました。