公私ともバタバタとしていてブログを書いていませんでした。
久しぶりの投稿になります。

今日は記事の紹介。

Twitterで流れてきた記事に目が留まりました。

 【2052日目】新潟日報に載っている人こそが「普通」

ブログ主の方は、自分は世間から見たらアウトサイダーだが、
自分から見たら世間の方がクレイジーだと話しています。

特に面白いのが以下の部分。

見たくない現実が目の前にある際、
それを直視して「どうにかしていこうぜ」と
愚直に頑張る人物の方が「普通」のはずですが、
今の時代、そうした人の方が「クレイジー」とされてしまい、
現実を直視しないで、ひきこもったり、ファンタジーに逃避したり、
揚げ足を取ったりする人の方が「普通」とされてしまう。

ここを読んで、普通って言葉は曖昧で当てにならないなと感じました。

自分が生きている世界、付き合っている人によって、
自分の普通が作られているので、
普通の定義は人によって様々です。

自分の常識が世間の非常識ということも、よくあることです。

今の自分は世間から見るとクレイジーなのかもしれません。

自分の本名と顔写真付きで情報を発信し、
会ったこともない人たちを朝から集めて会話し、
Twitterで知らない人たちに会いにいき、
会社員をしながら新しい仕事を作ろうとしていて、
考え過ぎる前に行動し、
世界は自分で面白くしていかないといけないと考えている、
それが自分の普通です。

ただ、それは今の時代では残念ながらアウトロー。
かなりの少数派です。

でもブログ主の方が言っている通り、
本来なら世間の方がクレイジーなのかもしれません。

不満を感じて生きているのに、
何もせず放置して目の前の現実から逃げている方が
不自然ではないでしょうか。

「新潟日報に載っている人こそが普通」
というのは極端だとは思いますが、
世間の普通はちょっと不自然だと思います。

そんな普通が変わってほしい、
変わるために自分も何かやっていきたい、
そう思うのです。

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