最近のロボット技術の進歩は目覚ましく、
昨日もAmazon、爆速配達サービス「Prime Air」という、
まるでSFの世界のようなニュースが流れていました。

そして、また1つSFのような未来が訪れようとしています。
それが以下記事。

 グーグル、「SNS応答の自動生成」特許を出願 « WIRED.jp

ネット上に存在している個人情報、
電子メール、SMS、ソーシャルネットワーク、その他のシステムを元に、
自動で反応してくれるという仕組みができるとのことです。

人の代わりにロボットがツイートしてくれたり、
Facebookでいいね!を押してくれたりできるようになる、
そんな技術です。

たぶん今はまだ精度も低くて、
「自分だったら絶対こんなツイートしない」
というものも多く含まれるんでしょう。

しかし、これから何十年と時間が経つ中で、
技術が発達して、さらに個人のツイートを大量に収集できたら、
ツイートの精度はかなり高まるのではないかと思います。

つまり、自分がいなくても自分と同じようなツイートができるようになるということです。

ここで思い出したのは、MIT(マサチューセッツ工科大学)の石井教授のツイート。
以下一部引用です。

何故走るのかと訊ねられる。
「人生は短か過ぎるから」と答える。

砂が指の間からこぼれ落ちるように、
残り時間が減って行くのが分かる。
だからこの一瞬が愛おしい。
だから走る。あと何年? 

すべての砂が落ち切った時、本当の未来が始まる。
そこに僕はいない。
しかし『僕』はきっとそこにいる。

石井裕教授と語るライフイベントとテクノロジーの未来|【Tech総研】

自分の命が尽きた時、自分の総力を注ぎ込んだ「僕」が
生身の自分の代わりに考えて動いてくれる、
そんなことを意味したツイートです。

MITという世界最先端の知の世界にいると、
「もう1人の自分」が生まれる未来は、
きっとはっきりと見えているのだと思います。

このツイートを見た時、
寂しい気持ちと未来への希望が同時に生まれました。

寂しいことは、自分がこの世から消えてしまうこと。

たくさんの人と笑いあったり、
世界中のいろんな空気を感じたり、
おいしいものを食べて、思いっきり走って、歌って・・・
そんなことができなくなると思うと、とても寂しいです。

その一方、自分がいなくなった世界への希望も見出せました。

例えば、自分が残した言葉やコミュニティ、
そして自分の遺産をベースに自動生成される言葉、
それらが未来を生きる誰かにアクセスし、
その人の記憶に刻まれたとしたら、
これだって生きてることになるんじゃないかと。

その瞬間を生身の自分は見ることはできないですが。

それでも、自分がいなくなったら何も残らない未来より、
小さくても何かが残る未来の方がずっといい。

そう思うと、残酷なほど正確に迫ってくる未来も
もっと受け入れやすくなる、そんな気がします。

もっとずっと先の未来、100年後、200年後、
その時に自分はもうこの世界にはいないでしょうけど、
自分が残した言葉はずっと残っていくはず。

それらの言葉が未来の誰かの力になれたら嬉しいです。

「おもしろき こともなき世を おもしろく」

幕末の動乱期を生きた高杉晋作の辞世の句を見て人生が変わった自分のように。

すべての砂が落ち切った時、本当の未来が始まる。
そこに僕はいない。
しかし『僕』はきっとそこにいる。


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