今年の出来事ですが、うちの実家のばあちゃんが亡くなりました。

いろいろと思うところがあって考えていたのですが、
ちゃんとまとめないと次に進めないと思ったので、
記事としてまとめたいと思います。

長い&悲しいのでご了承下さい。

眠るように静かな最後

最後の瞬間は突然に、母親からの電話でした。
「さっきばあちゃんが亡くなったよ。静かな最後だったよ。」と。

亡くなる3ヶ月くらい前から体調を崩して入退院を繰り返していたので、
お迎えが来るのも遠くないとは思っていたのですが、
あまりにも急な知らせでした。

すぐに実家に帰って、既に息を引き取ったばあちゃんと対面。

本当に眠っているかのように、まだ生きているかのように、
静かで穏やかな表情でそこにいました。

電話で聞いた時はまだ実感がなかったけど、
対面して初めて「ああ、本当に亡くなったんだな」と感じました。

その後、久しぶりに土屋一家が集合。

近況報告もそこそこに、亡くなるまでの出来事を聞きました。

するとばあちゃんは、
まるで死期がわかっていたかのような行動を取っていたようです。

家族の顔を見てから旅立つ

亡くなる1ヶ月前、自分夫婦と子どもは佐渡に帰っていました。
その時は入院しておらず、自宅でゆったりとしていました。

多少歩くのはつらそうだったし、少しやせていましたが、
はっきりと話していたし、食事も取っていたので、
まだまだ元気だなと思った記憶があります。

そして予定の時間を過ごして、新潟に戻ろうと家を出ようとした時のこと。

いつもは座ったまま部屋にいるばあちゃんが、
玄関先まで歩いて出てこようとしました。

玄関は大きな段差があってばあちゃんには危なかったので、
部屋に入ってゆっくりしててくれと、家族一同説得して部屋に戻しました。

今思い返してみると、ばあちゃんはその時もう長くないことを
自分自身でわかっていたのかもしれません。

だから、最後になるだろう孫夫婦とひ孫の姿を
その目に焼き付けようとしたのではないか、
そんなことを思いました。

それから日が流れて亡くなる2日前、
今度は弟夫婦と子どもが実家に帰っていました。

この時は入院していたので、病院での対面。
かなり弱っていて、写真を見ても疲れている様子がわかります。
それでも初めて弟夫婦の子どもと対面して、とても嬉しそうでした。

弟は「最後に子どもの顔を見せてあげられて本当によかった」
と話していました。

そして亡くなる前日、いつも自分の願いを話さないばあちゃんが、
じいちゃんに付き添いで病院に泊まってほしいと言いました。

それを聞いてじいちゃんは、いよいよ死期が迫っていることを悟り、
その日は病院に泊まったそうです。

そして次の日のお昼頃、じいちゃんと母に見守られながら、
94歳の生涯に幕を下ろしました。

苦しむこともなく、誰かの手を煩わせることなく、
会いたい人たちに全て会ってからの旅立ちは、
ばあちゃんらしいと思いました。

最後の夜、じいちゃんとばあちゃんがどんなことを話したのか、
自分はそれを聞こうと思いましたが、やっぱりやめました。

たぶん聞いたところで、じいちゃんは本当のことを言わないと思うので。

半世紀以上も一緒だった2人が何を話したのかはわからないけど、
それでもその時間は2人にとって幸せな時間だっと思います。

いつものようにじいちゃんが一方的に話して、
ばあちゃんがうなづいて時々言葉を添える、
そんな時間が流れていたんだろうなぁ。

前向きなお別れ

じいちゃんも両親も、ばあちゃんが亡くなるまで、
できることは全てしてあげられたという実感があったそうです。

だから、悲しい気持ちはもちろんあったと思いますが、
後悔はないと言っていました。

また、94歳と高齢だったので、
お葬式やお通夜もそこまでの悲壮感はなく、
よく長生きしたねという空気に包まれていました。

自分も同じで、悲しいんだけど誰もに訪れることだから仕方ない、
と納得できるお別れだと思っています。

後ろ向きなお別れではなく、前向きなお別れ。
そんな言葉が当てはまる時間でした。

一度だけ感情をコントロールできなかった瞬間

このように、ばあちゃんの死は割とすぐに受け入れられたので、
葬儀の時にも特に取り乱すことなく、
葬儀の参列者への対応をすることができました。

元々自分は感情のコントロールができるタイプで、
つらいことがあったり、悲しいことがあったりしても、
それを自分の中に留めておける、そう思って生きています。

この日もやはり淡々とできていたのですが、
たった1回だけ、感情をコントロールできない瞬間がありました。

それは、自分が通っていた保育園の当時の園長先生が来た時のことです。

一度高校卒業の時に会っていたのですが、
それ以来なので10年以上ぶりの再会。

それでもきちんと覚えていてくれて、こちらに寄ってきて、
「今回は本当に残念だったね。でも君は立派になったね。」
と声をかけていただきました。

その言葉を聞いた瞬間、本当に瞬間的に涙が出てきました。
自分でもなぜかわからないくらい突然に。

悲しいのか嬉しいのかもわからず、ただ反射的に涙が出てきました。

今になって思い返してみると、以前友達が言ってた
「最近頭で考えて笑うんじゃなくて、心で笑う体験をした」
という言葉が浮かびました。

これと同じなんじゃないかって。

この時の自分は、目の前で起こったことを頭で理解してから、
悲しいとか嬉しいという感情が呼び起こされたのではなく、
そこを通り超して自分の意識の範囲外に直接言葉が届いたのかなと。

だから自分でも思いもしなかった反応が出たんじゃないかと思います。

それでも、未だにあの時の感情はよくわかりません。
悲しかったのか、嬉しかったのかさえも。

願わくば、その両方であってほしいと思うのです。

受け継がれる命のリレー

葬儀は地方によってかなり差があると思いますが、
自分の実家の集落では、お通夜には近所の人を呼ばず、
葬儀のみ来てもらって、その後一緒にご飯を食べる形式となっています。

今回もその形式通り、葬儀後に近所の人たちに食事を振る舞いました。
(家族は近所の人たちにお酌をして回った)

自分は妻と子どもと一緒に実家に帰っていたので、
3人で近所の人たちのところを回りました。

実は子どもと近所の人が会うのは初めて。

たいていは高齢の方々なので、
普段若い人たちに囲まれた環境にいる子どもには厳しいかなと思いましたが、
そんな心配をよそに、笑顔で会場を回ってくれました。

その度に、話していた近所の方々の顔も笑顔になっていきました。

自分は葬儀に出た経験がほとんどなく、
大人になってから家族の葬儀があったのは初めてなのですが、
雰囲気はどんな感じなのでしょうか?

この時はパッと見ただけでは葬式とわからないくらい、
笑いが溢れる空間となっていました。

その空気を作ってくれた一番の功労者は、自分の子どもだと思っています。

私たちが回っていく人たちのところで次々と笑いが生まれ、
それが次々と周りの人たちにも伝わり、
最後にはみんなが笑っていたように見えました。

そんな光景を見ながら、
命とはこうやって受け継がれていくんだなと思いました。

ばあちゃんはいなくなってしまったけど、
自分の子どもが次の未来を作っていくから。

悲しみから始まった葬式でしたが、
終わる頃には希望の光の方が上回っていたように思います。

ばあちゃんはこの光景を見れなかったけど、
もし見てたらきっと喜んでいたでしょう。

それくらい、いい時間でした。

『ばあちゃん』はきっとここにいる

ばあちゃんが亡くなってから結構日が経ちました。

あの日確かにこの目で亡くなった姿を見たし、
自分でもそのことを感じたはずなのに、
今はまだ生きてるんじゃないかと感じるようになりました。

別に幽霊を見たとかじゃなく、
実家に帰ったら何事もなく座ってるんじゃないかって。

そしていろんな思い出が浮かぶようになりました。
ばあちゃんから聞いた話しとか、一緒に体験したこととか。

そんなことを思っていた時、ふとある言葉を思い出しました。
以前も紹介したMIT(マサチューセッツ工科大学)の石井教授のツイートです。

何故走るのかと訊ねられる。
「人生は短か過ぎるから」と答える。

砂が指の間からこぼれ落ちるように、
残り時間が減って行くのが分かる。
だからこの一瞬が愛おしい。
だから走る。あと何年? 

すべての砂が落ち切った時、本当の未来が始まる。
そこに僕はいない。
しかし『僕』はきっとそこにいる。

石井裕教授と語るライフイベントとテクノロジーの未来|【Tech総研】

ばあちゃんは全ての砂が落ち切ってしまいました。
だからここにはもういません。

でも『ばあちゃん』はきっとここにいる。

自分の頭の中にはたくさんのばあちゃんとの思い出があり、
それらは自分の人生に少なからず影響を与えてるし、
これからも与える可能性を秘めています。

そしてそれは自分だけじゃなく、家族の他の人にとっても同じ。

そう考えると、ばあちゃんの意思が家族の中にある限り、
ばあちゃんはここにいることになるんじゃないかと、
このツイートを思い出して感じました。

自分は生まれ変わりを信じていないので、人生は1回きりという考えです。

だから、これから先はもう二度とばあちゃんと会えることはありません。
それはすごく悲しいことです。

だからこそ、ばあちゃんが残してくれた思い出は、
なくさないように自分の頭の中に残したい、
加えてその記憶を外へと出していきたいと考えています。

自分がもっと活躍の場を広げた時、
そこでばあちゃんの話しをして多くの人に知ってもらえたら、
ばあちゃんはここにいることを強く実感できるような気がします。



ばあちゃんはたくさんの人に愛されて、
家族に見守られながら、穏やかな最期を迎えました。

自分が死ぬのはまだまだ先の予定ですが、
その時もばあちゃんのように、
たくさんの人たちに囲まれて最期を迎えたいです。

それまで日々懸命に生きていきます。
自分の気持ちに嘘はつかないように、自分の人生を生きるために。

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