昨日Twitterを眺めていて、とても共感できるツイートがありました。
いつもファシリテーターをさせてもらってる朝活、私がいなくても参加者の方で場をつくって楽しんでいたと報告を受けた。これほど嬉しいことはないかもしれない。いなくてもいつもと変わらない(じゃなくていつも以上の)空間ができたということだものね。幸福のしっぽ聴きながら寝る。
— のじま (@moeco430) 2014, 1月 20
これすごくよくわかります。
自分も同じことを思っていたからです。
自分は場を作る人のことを「コーディネーター」ではなく、
「カタリスト」だと考えています。
コーディネーターとは、
いろいろな要素を統合したり調整したりして一つにまとめ上げる、
という役割を担う人です。
自分の理想とする状態があって、
そこに全体が正しく向かうようにコントロールする、
という意思を持って動く人でもあります。
一方、カタリストは逆で、
自分から積極的に場をコントロールしようとしません。
お互いにコミュニケーションが取りやすいようにサポートをしても、
基本的にはその場にいる人たちの意思に任せる、
という役割を担う人です。
カタリストとは直訳すると「触媒」のこと。
理科の授業で習ったと思いますが、
触媒とは、特定の化学反応の反応速度を速める物質で、
自身は反応の前後で変化しないもののことです。
化学反応時の触媒と同じように、
カタリストはその場にいる人たちの関係を直接変えるのではなく、
お互いが近づいていくサポートをします。
つまり、自分がいることによって、
周りの人たちがより仲良くなるということです。
触媒は化学反応の最初こそ大きな役割を果たしますが、
一旦化学反応が起こってしまえば、
あとはその勢いで化学反応が続いていきます。
ですので、カタリストも交流の最初には大きな役割を果たしますが、
その後は少しずつフェードアウトしていき、
最後は自分がいなくても問題なく話せるようになる、
というのが理想です。
それはまさに、最初に紹介したツイートのような状態です。
自分がいなくても問題なくなるというのは寂しい気もしますが、
きっとその人たちにとっては、
自分がいなくても話せる関係を築いた方が楽しいと思います。
そして、自分は寂しさを感じながらも、
そんな瞬間に立ち会うのが大好きです。
これからもカタリストとして、
様々な化学反応を起こす場にいたいと思うのです。
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