3月は別れの季節。

学校では卒業式があり、会社では異動や転勤があり、
人が大きく動く時期です。

自分が今住んでるアパートでも、
ある家族が今週中で退去することになりました。

土屋家と同じく夫婦と子ども1人という家族構成だったので、
勝手に親しみを感じていた家族です。

特別会って話したり、個人的な交流はなかったのですが、
会った時に立ち話したり、うちの子どもにかまってくれたり、
小さな交流は日常的にありました。

そのせいか、引っ越しの報告を聞いた時は寂しさを感じました。

この寂しさを感じたという体験、
寂しいんですけど自分にとっては嬉しさも同時に感じました。

それは過去の苦い経験があるからです。

今のアパートに引っ越す前、
まだ新潟市中央区に住んでいた頃のことです。

当時まだ子どもが生まれたばかりで、
子どもは昼も夜も関係なく突然泣き叫ぶ日々を送っていました。

ちょうど夏に差し掛かった頃、
暑くなって窓を開けることが多くなってきました。

そうした暑い日々が過ぎていったある日、
アパートの窓から隣の棟を見ると何やら張り紙が貼ってあったのです。
(自分の部屋の窓から隣の棟まで数メートル程度)

そこには、
「子どもがうるさいから静かにさせてほしい。
 ゆっくり寝たいから窓を閉めてほしい」
ということが書かれていました。

自分にとってショックだったのは、
「うるさい」とか「窓を閉めろ」と注意されたことではなく、
たった数メートルの距離に住んでいる隣人なのに、
声をかけてくれなかったことです。

この時、自分がいかに近所付き合いをしていなかったか痛感しました。

同じくらいのタイミングで、ある方から
「つながりという言葉を使う人は、ネットだけじゃなく近所付き合いもしてるのか」
という言葉を聞きました。

自分のことを振り返ってみると、
ネットを通じて朝活はじめ、多くの人と出会ってきたけど、
隣に住んでいる人の顔も名前もよくわからず、
視野が狭くなっていたなと感じました。

そこに例の張り紙の件。

この時強く思いました。
次の場所では近所付き合いをしっかりしようと。

幸か不幸か、張り紙があった2週間後に引っ越しが決まっていて、
今から約2年前、今の場所に移り住んできました。

このアパートでは、積極的に自分から挨拶したり、
隣の部屋の人と一緒にご飯食べたり、
町内会の集まりに参加したり、
意識して近所の方と交流してきました。

最初は面倒かと思っていた近所付き合いも、
全然そんなことはなく、むしろ楽しいです。
(アパートで年齢が近い人が多いのが大きい)

そうやって近所付き合いを重ねてきて、
少しずつ信頼というか、連帯感が生まれてきたように思います。

今回の引っ越しで寂しさを感じられたのは、
きっと今まで交流してきた時間が楽しかったからです。

楽しくなかったら別れの時に何も感じないだろうから。

欲しかったものが1つ手に入りました。

「つながりは身近な人から」

画面の向こうの人だけでなく、
隣で生きている人にももっと目を向けて。

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