こんばんは。土屋です。

最近になってシリコンバレーに注目するようになりました。

といっても、興味があるのはITの方ではなく、
シリコンバレーという街がどうやってできたかという成り立ちについてです。

以前の記事でもシリコンバレーの成り立ちについて少し触れましたが、
より深く知りたいと思って本がないか調べたら、ありました!

シリコン・ヴァレー物語という本。
古くてamazonでも在庫がないみたいですが。(中古だとあります)

自分は新潟市の図書館ほんぽーとで借りてきました。

この本を読んで、シリコンバレーの成り立ちをより深く知ることができました。

途中までしか読んでいませんが、
シリコンバレーの成り立ちの核心部分に触れたので、
以下1~5に分けて要約して書いてみます。(長文です)

1.全ての始まりは大学から

シリコンバレーの成り立ちは、スタンフォード大学の設立で幕を開けます。

スタンフォード大学の設立者であるリーランド・スタンフォードは、
食料品店主からキャリアをスタートし、
やがてアメリカ大陸横断鉄道の建設を推進した実業家グループの1人にまでなりました。

カリフォルニア州知事も歴任し、合衆国上院議員にも当選し、順風満帆だったのですが、
息子が大学進学を前に突然病死します。

悲しみの中、息子との思い出を残そうとしたスタンフォードは、
彼が進学を夢見た大学を今のシリコンバレーに設立したのです。

その大学こそ、今や世界トップレベルの大学であるスタンフォード大学です。

当時はシリコンバレーのある西海岸は後新地。
カリフォルニアのような知とは無縁の場所に大学を作るなんて馬鹿げてると言われました。

それでも彼は大学を設立。

彼が所有していた広大な面積の大学の土地は売却できなかったので、
周辺に進出し始めた企業に大学の用地を貸し出しました。

それが後のスタンフォードインダストリアルパークとなり、
シリコンバレーの企業群がここから育っていくことになります。

2.1人の教授が見つけた2つの才能

大学は順調に卒業生を輩出する中、
地元の高校とスタンフォード大学を卒業し、
スタンフォードで教授を勤めている人がいました。

彼の名前はフレデリック・ターマン。

彼は叡智を結集して科学技術と産業を結びつけるべきという方向性を持っていました。

そんなターマンの研究室には、アマチュア無線があり、
多くの学生が出入りしていました。

その学生たちの中に、後のヒューレット・パッカードの創業者である、
デイヴィッド・パッカードとウィリアム・ヒューレットがいました。

ターマンは優秀なこの2人を自分の講義へと誘い、
さらにターマンのビジョンである「科学技術と産業を結びつける」を実現するため、
2人をベンチャービジネスへと導いていきます。

3.始まりは一軒家で

当時はスタンフォードの優秀な学生は、
卒業すると東部にある有名企業に就職して、それっきり戻って来ませんでした。

その解決策としてターマンが考えたのは、
大学教育を企業活動にリンクさせること。

大学を中心に何か始めれば、太陽の周りを回る惑星のように、
企業が次々はじけて太陽系が形成されていくだろうと予測しました。

そこで、ターマンは優秀な学生を企業に連れていきました。

ヒューレットとパッカードもそうで、
その努力の甲斐あって、2人は事業を興すことを決意するようになります。

ヒューレットとパッカードは多くの発明家実業家を紹介され、顧客候補も紹介されました。

そうしてついに地元の一軒家でヒューレット・パッカードを立ち上げました。
(この時点ではやることは決まってなかったけど)

最初の製品はオーディオ発振器。そこから順調に業績を伸ばしていきます。

4.スタンフォード大学の台頭

西部の不利を克服するため、
スタンフォード大学では最先端技術の研究を積極的に進めて、
政府や企業が注目するようにしました。

その結果、電気工学では数年でMITに並ぶようになります。
その間もターマンは学生を企業に送り続けました。

1950年代にはメンロパークにスタンフォード研究所を設立。
(そこでマウスが発明される)

ヒューレット・パッカードでは技術者を大学院に派遣し、
学費も会社が受け持つという制度を始めました。

一方の教授ターマンは、スタンフォードの土地を
スタンフォードインダストリアルパークという工業団地として開発し始めた。

創業者の古い友人たちとつながれて、
かつ、若い研究者と接触しやすいという理由で企業が次々と入ってきました。

この時ターマンとパッカードは密約を交わしていて、
お互いのところに相談に来た人を、もう一方に紹介し続けていました。

そうすることで、自分たちが拡大するチャンスを広げていったのです。

この努力が実り、
工業団地には東部のGEコダックといった大企業が進出して活気付いてきました。

技術尊重の企業を優先的に大学に誘致し、
それらの企業にスタンフォードの学生の雇用を促し、
教授はこれら企業をコンサルするという関係が生まれてきました。

そして、大学の研究内容は企業から注目され、
ビジネスに関係ありそうだとなると、
企業側はすすんで研究資金を提供する関係ができました。

こうしてスタンフォードに活力が生まれ、
アメリカの主なハイテク企業が周辺に拠点を置くようになります。

5.ライバル企業が並んだことで、シリコンバレーの素地ができた

教授ターマンのスタンフォードの教員採用方針は、
「数は少なくていいから、第一級の学者を高給で引き寄せる」というものでした。

その採用方針に従って採用されたのが、
トランジスタを開発したウィリアム・ショックリー。
ショックリー半導体研究所を設立しました。

ショックリーがシリコンバレー生成に対して果たした重要な役割は2つ。

1つはテクノロジーを東部から西部へ移植したこと。
もう1つは優秀な人材を集めたこと。

自らがノーベル物理学賞であるという名声を利用し、
アメリカ中から若くて才能ある物理学者や科学者を募り、
自ら電話で説得しました。

こうしてシリコンバレーには次々と優秀な研究者が集まりました。

しかし、ショックリーのわがままな態度に嫌気が指した8人が、
新しい半導体会社を設立します。

ショックリーの研究所とはわずか1キロあまりしか離れていない場所に作りました。

こうして半導体メーカーが2社並んだことで、
この地域がシリコンバレーと呼ばれるに至る素地が作られたことになります。

この頃から、バーやレストランでも新技術をめぐる会話が沸騰していました。

この土地のオープンな雰囲気そのものが、
様々な新技術を生み出す力でなっていました。

少数のキーマンが文化を作る

この本を読んで感じたことは、
「少数のキーマンが文化を作る」ということです。

シリコンバレーの例で言うと、
 ・スタンフォード大学を設立したリーランド・スタンフォード
 ・大学と企業を結びつけた大学教授のフレデリック・ターマン
 ・スタンフォード卒で会社を作ったヒューレット&パッカード
 ・優秀な研究者を集めたノーベル賞受賞者のウィリアム・ショックリー。
あたりです。

もちろん、他にも大勢の人の力があったことでしょうが、
上に挙げたキーマンがいなければ成立しませんでした。

言い換えると、キーマンが多くの人を巻き込んで、
シリコンバレーが生まれたと言えます。

逆に考えると、少数のキーマンがいれば新しい文化が作れるということ。

その人が明るい未来を作ってくれると思える人ならば、
きっと周りの人は協力してくれ、巻き込まれていくと思います。

「大学」と「少数のキーマン」。
これがシリコンバレー成り立ちの源だとわかりました。

これをどう新潟に当てはめていくか。

これからじっくり考えていこうと思います。

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