こんばんは。土屋 (@tutinoko310)です。

Twitterでいつもチェックしてるエヒタさん (@ehita)、
少し前のブログ記事の内容が素敵で共感したので紹介します。

 ひとの人生へ間接的に関与することで生きてる感を感じる人間、わたし | BLOG HOMME

エヒタさんは以前に100アイコンという名前で、
Twitterのアイコン用似顔絵を100枚限定で描く企画をやっていました。

記事にも書いてありますが、あまりにも人気で、
募集から8分で100人に達してしまったとか・・・

しかし、この企画は似顔絵を描くだけにとどまらず、
参加者同士の交流が始まり、Twitterを飛び出してオフ会が開かれ、
イベントがコミュニティへと育っていきました。

そして、そのメンバーから別の企画が生まれたり、ビジネスにつながったり、
なんと恋愛にまで発展して結婚・出産にまで至った人もいたそうです。

それについてエヒタさんは、戸惑いを感じながらも、
以下のように嬉しさを綴っています。

ふとした行動や言動が炎上に繋がるなんだか面倒な時代。

でも、同じように、ふとした行動や言動、
そして自分の仕事が全く知らないひとを幸せにしている、
それを知ることができる良い時代だとも思います。

こういった発信もまた、
「いやいやそうじゃねえ」と誰かを怒らせたり悲しませるかもしれません。

でも、誰かのその後の人生に多少の良導を促せたのなら、
そしてそれを知ることができるなら、
発信することにはとても意味があるように思うのです。

「ひとの人生へ間接的に関与することで生きてる感を感じる人間」

言葉にするとおぞましく身勝手で驕りさえ感じますが、
僕のこの癖は今となれば、なかなか気に入っている癖でもあります。

「ひとの人生へ間接的に関与することで生きてる感を感じる人間」という部分、
とても共感できました。

自分もまた、他の誰かの人生に関わることに嬉しさを感じるからです。

 誰かの人生の一部に自分が関わってると感じられることは最上級の幸せ
 人生が変わる瞬間に立ち会える幸せ

もしイベントを開いていなかった、ある2人は出会わなかったかもしれない。
もしブログ記事を書いていなかったら、新たな一歩を踏み出す人はいなかったかもしれない。

小さくても自分が起こした何かが、誰かの人生に関わったとしたらすごく嬉しいし、
それこそが生きる意味なのだと思います。

思い出されるのは、MIT(マサチューセッツ工科大学)の石井教授の言葉。

何故走るのかと訊ねられる。
「人生は短か過ぎるから」と答える。

砂が指の間からこぼれ落ちるように、
残り時間が減って行くのが分かる。
だからこの一瞬が愛おしい。
だから走る。あと何年? 

すべての砂が落ち切った時、本当の未来が始まる。
そこに僕はいない。
しかし『僕』はきっとそこにいる。

石井裕教授と語るライフイベントとテクノロジーの未来|【Tech総研】

これから先自分が消え去ったとしても、
自分が積み重ねてきた思考や経験や行動が誰かの中に残っていたとしたら、
そこからが新しいスタートです。

その様子を見ることはできないけど、
自分がやってきたことが、自分がいなくなっても誰かに影響を与えるのなら、
それはとても嬉しいことだと思います。

まだまだ死ぬつもりはないですし、やりたいことは山積み。

ですので、これからもやりたいことをやり続けて、
周りにいる人を巻き込みながら、多くの人の人生に関わっていけたらと思います。

エヒタさん(@ehita)面白くて賢いので、Twitterもおすすめです。

ぜひフォローしてみてください。

それでは、良い週末になりますように。

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