こんばんは。土屋 (@tutinoko310)です。
この前の土曜日は久々に飲み会で、新潟駅南のけやき通りにいました。
以前の記事で紹介したワイナリー カーブドッチの方からのお誘いで。
普段は車なので飲み会でもお酒を飲んでおらず、
久々に飲んだお酒はいつもよりおいしく感じられました。
お酒弱いので量は飲めませんが・・・・
そして、初めて来たバーではアイリッシュミュージック生演奏。
素敵なお店で心癒される音楽、
飲みたい人と飲みたいお酒、話したいことを話す。
お酒は苦手だけどとても幸せな時間でした。
こんな瞬間があるから人生やめられません。
飲み会の帰りに1日を振り返って思ったのは、
自分はアメーバみたいな生き方をしてるということ。
相手に合わせて形を変え、性質を変えるような生き方。
そうすることを苦痛に感じない性格。
それって自分の才能で、33年の人生で生み出された自分の生き方なんだと思ったのです。
自分には貫くべき自分がいないからこそ、
アメーバ的生き方ができてるんだなと思います。
「自分はこうあるべき」という明確な自分があれば、
どんな人と会ったとしても同じ自分でいられるので。
でも、自分にはそうした「自分」がありません。
ですので、自分から話す人の場合は聞き役になったり、
あまりしゃべらない人にはこちらから話したり、
賑やかな人ならこちらもテンションを上げ、
物静かな人なら声のトーンを落とすように、
その人に応じていろんな自分を半ば無意識に作っています。
核になる自分は残しつつ、表現方法を変えるのが自分に合ったスタイル。
世代や興味に合った接し方があって、
そこに合わせようとするのが自分にとって心地よい生き方です。
その場に居合わせた人たちに、
一緒にいて居心地がいいなと思ってもらえるのであれば、
自分を変えることは全く苦ではありません。
そんな自分の生き方を振り返ってみて、
とてもアメーバ的だなと思ったのです。
若い頃は特に、「自分探し」を目的として、
いろんな人に会ったり、いろんな本を読んだり、旅に出たりします。
自分も20代の頃にこうした経験を重ねてきましたし、
多くの方が経験されているのではないかと思います。
その経験から自分が見つけたことは、
「自分とは他者との関係の中に存在するもの」
でした。(ちょっと哲学的な言葉ですが)
誰かと話したり、歌ったり、走ったり、仕事したり。
そうした時に自分は生きててよかった、自分がここにいてよかった、
と強く実感するからです。
今朝活を始めとした「人が集まる場」を作り続けているのは、
もしかしたら自分でも気づかない無意識のうちに、
他者との関係の中で「生きてる自分」を感じたいからなのかもしれません。
アメーバのような生き方、みなさんはどう思われますか?
特殊な生き方ではないと勝手に思っていますがどうでしょう。
こんな生き方もあるんだと参考にしてしていただければ幸いです。
それでは、明日も良い1日になりますように。
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