こんばんは。土屋 (@tutinoko310)です。
今週末は衆議院議員総選挙の投票日ということで、
新潟県内各地で候補者の演説が展開されています。
今朝も新潟駅周辺では、候補者の1人が雨の中街頭に立ち、
最後のお願いということでアピールしていました。
年末の忙しい時期になんで選挙なんだと思う人は多いt思いますが、
たぶん候補者たちも同じ思いで、
なんでこんな寒い時にやるんだと思ってるかもしれません。
さて、そんな候補者の演説を少しだけ聞いていると、
「頑張ります」という表現がよく聞こえてきます。
「精一杯頑張りますので応援よろしくお願いします!」
という演説は、どの候補者からも聞くことができるのではないでしょうか。
同じようなことは学校でも会社でもあります。
「今は売上が苦しい時だから、一丸になって頑張ろう」
「厳しい練習に耐えて頑張ろう」
しかし、「頑張ろう」という言葉を聞く度に、
ちょっとおかしいと感じるようになってきました。
自分は基本的に「頑張る」という状態は無理をしている状態だと思っています。
普段よりも集中して、時間をかけて、時には体も心もすり減らす、
そんな状態が頑張るという状態。
でも、無理は長くは続きません。
頑張ることは一時的なもので、続けることを前提としていません。
ある時期だけ頑張ったら、あとはペースを落としていく、
そうしないといずれ心か体のどちらかがギブアップしてしまいます。
よく使われる「頑張る」という言葉の裏には、
一時的に頑張るというより、永続的に頑張るという意味が込められているように感じます。
終わりのない頑張りとでも言いましょうか。
もし終わりのない頑張りを求められていて、
そうしなければ続けられないような機会があった場合、
それは個人の頑張りの範囲を超えて、システムの問題になってきます。
頑張らないと続かないようなシステムがよくない。
例えば人を増やしたり、稼動時間を少なくしたり、
困っている人がいたら空いた人がサポートしたり・・・
いかにして頑張らなくても続けられる環境をつくるか、
個人にも組織でも大事なポイントだと思います。
頑張らないから続けられる
頑張らなくても続けられるレベルを上げていきたい。
そんなことを選挙演説を聞きながら思いました。
それでは、良い週末をお過ごし下さい。
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