こんばんは。土屋 (@tutinoko310)です。

この1年くらいでテレビをよく見るようになりました。

昨日は大好きな番組、1億人の大質問!?笑ってコラえてを見ました。

竹工芸家の田辺小竹さんという方が紹介されていたのですが、
その繊細な作業と作品の圧倒的スケールに終始驚かされました。

1本の竹を細く切って、パスタくらいの太さの何十本もの竹に分割し、
それらを編んで作品を作っていくという作業。

時には竹の色の違いを利用して、竹を編んで1つの絵にするというのですから、
その作業の緻密さは何となくイメージできるかと思います。
(ちなみに、作品のお値段は家が建つくらいだとか・・・)

こういった一芸に秀でている人を見ると、
「あの人には才能があるからできるんだよ」
という声がよく聞こえてきます。

元々才能があったから、芸術家として成功できたし、
革新的な作品を作り続けていられるんじゃないか、そんな声。

自分はそういった成功と才能を結びつける声を聞くと、
どうしても言い訳に聞こえてしまうのです。

「あの人は才能があるから」という言葉を使う時、
その言葉の裏には「(だから自分はできなくても仕方ないよね)」
という感情が含まれているように思います。

自分が何もやらないことを正当化する理由のように聞こえてしまう。

もっと言うと、才能という言葉を使って、
自分とその人との間に大きな壁を作ってしまう。

周りから見ていて、もったいないなと思ってしまいます。

自分は安易に「才能」という言葉を使いたくありません。

もしある分野において明らかに才能を発揮している人でも、
「才能がある」という一言で片付けたくない。

きっとその才能が花開くまでには、
相当の努力と苦悩の日々があったと思うからです。

「才能がある」という言葉を使うことで、
その努力と苦悩の日々をなかったことにしてしまいそう、
だから「才能」という言葉を極力使わないようにしています。

天から与えられた才能が力を発揮するのは、
相当の努力と苦悩の日々の先です。

それなりのレベルまでなら、努力と時間で達することができる。

才能という言い訳をせず、(たとえ才能が乏しくても)、
自分が好きだと思うことに力を注いでいく、そんな人生でありたいです。

言い訳では人生が前に進まないから。

では、明日も良い1日になりますように。

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