こんばんは。土屋 (@tutinoko310)です。

車を運転している時はよくラジオを聞いています。

朝の通勤時間帯にはインタビュー番組を放送していて、
新潟で活躍している人を招いて、今までの経歴や活動を紹介してもらう番組です。

今日もそのインタビューを聞きながら運転していましたが、
その中で気になる部分があったので取り上げてみます。

インタビュー中、
「仕事をどのように考えていますか?」という質問がありました。

この質問に対して、インタビューを受けている人は、
「どんな仕事も大変で苦労するもの」
「楽して仕事するなんてありえない」
と答えていました。

まさに職人といういべき仕事観を持った方ですが、
この回答を聞いた時、圧迫感・嫌悪感が湧き上がってきました。

なぜなら、周りにもその仕事観を強要する姿勢が垣間見えたからです。

仕事に対する価値観は多様化しています。

自分にとっての生きがいであるという人もいれば、
ただ生きるためのお金が欲しくて働く人もいるだろうし、
社会の一員として社会と接点を持っていたいという人もいるはず。

あるいは、理由は1つだけではなく、
様々な理由が重なり合って働く理由になっている場合もあります。

自分で考えて導き出した仕事・働き方ならば、
そのどれもが正解で、認められるべきものです。

ですが、先ほど紹介したインタビューの方からは、
そうした多様な仕事観を否定するような言動が見られました。

「仕事とは楽しむものではなく苦労するもので、
 そうした苦労を伴わないものは仕事とは言えない。」

もう少しやわらかい表現でしたが、
自分の仕事観が絶対的に正しく、
他の仕事観を認めようとしない思考が感じ取れました。

こだわりは美徳だが他人に強要すべきではない

仕事は大変なもので、他のものを犠牲にしても1つに集中するという働き方は
とても職人的で時に美しささえ感じます。

ただ、全ての人がそのような働き方に適応できるわけではありませんし、
仕事に求めているものも違います。

それなのに、全ての人に同じ働き方を強要してしまったら、
それはもう美徳でも何でもなく、才能と可能性をつぶす愚行です。

多様な価値観や仕事観を認め、
他人の価値観や仕事観を尊重できるようになる人が増えれば、
きっともっと暮らしやすい世界になるのだろうと、
ラジオを聴き終えた今思っています。

では、明日も良い1日になりますように。

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