こんばんは。土屋 (@tutinoko310)です。

先日、紙版の廃止が決まったクーリエ・ジャポンですが、
デジタル版で有料サービスとして生まれ変わったので、早速登録しました。

最新版だけでなく、過去に雑誌に掲載された記事も読めるので、
時間を見つけては過去記事を眺めて、面白そうな記事に目を通しています。

ちなみに無料公開されている記事も多数あります。

その中でアメリカのMITメディアラボの特集記事があり、
日頃から気になっていた場所でもあったので、全ての記事に目を通しました。

中でも一番心魅かれたのは、
MITメディアラボの副所長を務められている石井裕教授(@ishii_mit)の記事です。

 石井裕メディアラボ副所長インタビュー「2200年の世界に何を残せるか。 それを考えて僕は毎日を生きている」

前々からとても好きな研究者の方。

形のないものに触れられる「タンジブルユーザインタフェース」で有名になりましたが、
それと同じくらい発する言葉が希望に満ち溢れています。

石井教授が発したメッセージの1つは、
自分の死生観を変えてしまうほど、大きな影響を受けました。

 『僕』はきっとそこにいる

今回のクーリエジャポンの記事でも、
自分がいなくなった世界に何を残せるかということに言及されていて、
改めて自分はいったいこの世界に何を残せるのか、真剣に考えるきっかけになりました。

ぜひ他の人にとっても考えるきっかけとなってくれたら、
そう思って記事をTwitterで紹介したところ、何とご本人から返信がありました。

「未来記憶」という一言に、
その言葉を補足するインタビュー記事や動画が添えられていました。

名も無き個人の小さなツイートにまで反応して下さって本当に驚きました。
同時にこの短い言葉をきっかけに、より遠い未来のことに思いを馳せるようになりました。

未来記憶とは、行動の先にある未来のイメージのことです。

理想の未来をイメージして、そのために今どんな行動をするのか考える。
果てしなきその繰り返しが遠い先の未来を決める。

未来記憶という言葉にはそんな意味が込められていると思います。

自分はそこまで遠くの未来は見てなくて、
遠い未来を予測することは変化の激しい時代においては意味のないことで、
起こる変化にいかに対応していくか、という発想で生きています。

それは未来に適応する1つの生存戦略ではありますが、
受身の発想であるため、必ずしも自分の望む未来になるとは限りません。

一方、未来記憶の発想では、自ら理想の未来を作っていくので、
常に自分が欲しい未来が作られていくことになります。
それはすごく楽しいこと。

「遠い未来を見る」という発想が今ようやく自分の中にも加わりました。

2200年の未来、自分はもうそこにいませんが、
その時代に自分は何かを残せているのか。

やはりこの世に生まれてきた以上、
次の世代に何かを残したいと思うのは生物の本能だと思います。

残り人生が刻々と減っていく中で、
自分が未来に残せるものをもっと考えていきたいと思った一連の出来事です。

自分がいない世界に何を残せますか?

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