こんばんは。土屋 (@tutinoko310)です。

コミュニティという言葉はいつの間にか社会に浸透し、
コミュニティは専門用語ではなく一般用語になっています。

コミュニティの意味は個人によって解釈が結構違っていて、
家族や親戚、ご近所さんと行った狭い範囲のものから、
スポーツチームや特定の趣味の集まりといった広い範囲まで様々。

ただ、コミュニティの解釈に差はあっても、
「何らかの共通点を持った人の集まり」
である点は一致しています。

自分も2,3年前までコミュニティとはそういうものだと考えていました。

しかし、最近はコミュニティの解釈がさらに広がってきました。

従来のコミュニティの定義であった
「何らかの共通点を持つ」という制約は
不要ではないかと思い始めています。

特に共通点がなく、
年齢も職業も興味も価値観さえも異なる人たちが
多様な目的のために集まっている場も
コミュニティと言えるのではないかと。

そして、今の時代に求められているのは
こうした異質な者同士が触れ合う機会ではないかと考えています。

自分の属性に近い人たちが集まっているコミュニティは
自分と似たような体験をしていて、考え方も似通っているので、
話が通じやすく、とても居心地の良い付き合いができます。

このようなコミュニティはもちろん大事なのですが、
一方で、同じ考えを持つ人たちだけで集うことは、
世界を狭めることにつながってしまいます。

同じ考えの人たちと過ごす時間が長くなるほど、
自分たちの考えが世界のスタンダードだと思い込んでしまい、
外へと目を向ける意識を奪ってしまいます。

個人が出来ることが劇的に増え続けている現代、
自分が出来る楽しいことが視野の外に転がってしても、
そこに目を向けられないのはもったいないことだと思います。

こうした視野の狭まりを正してくれる存在こそ、
異質な者同士が交流するコミュニティだと思います。

そこでは自分の生活の中だけでは決して知ることのできない
知識や経験、価値観に触れることができる。
その体験こそが視野を外へと向けるきっかけとなります。

以前読んだ「人間の居る場所」という本では、
従来の同じ価値観を持つ人同士のコミュニティを共同体、
異質な者同士が交流するコミュニティを共異体、
と定義していました。

そして、街が活気づくためには共異体が必要と述べていました。