こんばんは。土屋 (@tutinoko310)です。
自分の人生の軸として、
「人が集まる場をつくる」というものがあります。
年齢や職業、出身や国籍、価値観さえも違う人たちが
自由に集い、自由に旅立っていく場。
そのことを考えているといつも思い出すことがあります。
ライフハッカーの以下の記事。
「天才が生まれる社会」のつくりかた:多様性と実験が創造性を生む、歴史的事実
この記事によると、
天才とは一定の確率で偶然生まれるのではなく、
条件が重なった時に集中して生まれるとのこと。
その条件の1つとして、
多様な人たちが自由に集まって話せる場があったことを挙げています。
以下抜粋。
多様な人間が交差しえたということが利点だったのは明らかだ。
過去に天才が集中した場所が、
すべて商取引の中心地であったことは偶然ではない。そのような土地では、多種多様な人々が集まって
アイデアを交換しあうことが可能だ。人口全体において、大学の学位を持つ移民が1%増えると、
特許取得数が9~18%増加するという研究データもある。
つまり、天性の才能を発揮していた人たちがカフェに集まっていたわけではなく、
実際にはその逆で、カフェに集まった人たちが才能を発揮し、
後に天才と呼ばれるようになったという事です。
おそらく時代や地域に関係なく、
あらゆる才能は均等に配分されていると思います。
ただ、その才能が開花するかどうかは環境によるところが大きい。
多種多様な人たちが集まって、話し、
互いに刺激を与え合う事で才能を高め合う。
天才が集中して時代・地域には
例外なく人が集い語る場があったと思います。
これは遠い過去や海外に限らず、
日本の一地方都市でも当てはまる法則だと考えています。
ルネサンス期に次々と天才を輩出したカフェのように、
多種多様な人が集まり、交流する場があれば、
眠っていた才能を開花させる人が次々と現れるはずです。
多くの才能は眠ったまま起きる気配もない。
でも、もし本人さえ気づかなかった才能が呼び起こされたら、
本人だけでなく、周りの人たち、さらには地域社会にとっても
プラスになるように思います。
歴史に名を残すような天才が生まれなくても、
訪れた人が人生を楽しくする才能を見つけることができる、
そんな場を作りたい。
口に出したり、頭に思い描いていなくても、
きっと求める人たちはいると思います。
多くの才能が開花する場作りに今後関わっていきたいです。
最後、記事の中で最も印象的だった文章を紹介して終わりにします。
いまほど天才が必要とされている時代はない。
われわれは歴史に学ぶことができる。
天才の集中は偶然ではないのだ。
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