こんばんは。土屋 (@tutinoko310)です。
今日Twitterで見かけた記事にとても共感したので紹介します。
日本の伝統的企業で働いた筆者が
アメリカの企業でインターンとして働く中で学んだことを記事にしています。
仕事が暇だと昼間から会社でゲームをするという、
日本のサラリーマンから見ると破天荒な振る舞いをしていますが、
日本人より生産性か高く、数倍稼いでいるとのこと。
結果を出してこそ遊べるというものですが、
うらやましいと思うのは自分だけではないはずです。
この記事で1番共感した部分は以下。
社会の厳しさの9割は「社会は厳しくあらねばならない」
という妄想を持った人たちによって作られている。
これは本当にその通りで、
自分も時々年長者の方から言われてきました。
その度に、そんな社会は息苦しいと思い続けてきました。
社会は厳しくあらねばならないと思ってる人たちは、
自分の過去の経験を絶対視し、
それ以外の生き方を認めようとしていません。
過去に目を向けるだけで、
今と未来を見ていません。
だから、自分が通った道こそが正しい、
みんな苦しい思いを経験しないといけない、
という発想になってしまう。
しかし、生きていく上で本当に厳しさは必要でしょうか?
彼らの言う社会の厳しさとは、
入社3年は辞めてはいけない、
自分の意見を言いたければ昇進するしかない、
9時までに会社に行かなければならない、
上司が、帰る前に帰ってはいけない、
などが思い浮かびました。
これらは全ての人に適用される社会の厳しさなんかじゃなく、
誰かが生み出した偏見で、
厳しさでも何でもありません。
そんな偽りの厳しさに怯えて生きるのはとてももったいないことです。
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクション、
と言ったのはアインシュタイン。
その名言のように、若いうちに苦労した人たちは、
その時たくさんの偏見を身につけてしまい、
次世代に強要することもあります。
ですが、その先に明るい未来があるかどうか、
今の日本を見ると答えは出ているように思います。
今の時代に必要なのは、
社会の厳しさという偏見を華麗にスルーし、
自分の好きなことを突き詰めていく好奇心と行動力です。
誰かに言われたわけでもなく、
自分でやりたいと思ったことをやる方がクオリティは高くなりますし、
精神的にも安定します。
そうした人が増えれば、
社会の厳しさを唱える人は少しずつ減り、
充実した人生を送人がきっと増えると思います。
そんな人たちが増えることを願って、
新しい一歩を踏み出す機会をもっと作っていけたら、
そんなことを考えた記事でした。
では、明日も良い1日になりますように。
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