こんばんは。土屋 (@tutinoko310)です。
「なぜこんなこと勉強するんだろう」
学生時代に誰しも考えたことがあるのではないでしょうか?
自分もそう思ったことは何度もあり、
例えば平安時代に行くわけでもないのになぜ古典を学ぶのかと思ったり、
これからの人生で微分積分はまず使わないのに、
なぜ複雑な数式を暗記しなければならないのか、など。
数学はパズルのような感じで、
特に意義を見いだせなくてもゲームのようで楽しかったのですが、
古典は興味もなく理解もできず、ほとんど放置状態でした。
あの時の直感は正しかったのか、
大学を卒業してから10数年が経った今まで、
古典や微分積分に関わることなく人生を過ごしてきました。
しかし今少し風向きが変わってきています。
今年に入ってからAIに興味を持って勉強を始めたと以前の記事で書きましたが、
AIの学習を進めるうちに、記憶の彼方へと追いやっていて微分積分と再会しました。
AIの機能の中に機械学習という分野があり、
これは「データから反復的に学習し、そこに潜むパターン(特徴)を見つけ出すこと」
が役割です。
そのパターンを見つけるために、統計学を活用しているのですが、
この統計学の中で微分積分が頻繁に登場しています。
さらに言えば、微分積分だけでなく対数(Log)や確率も出てきます。
もう使わないと思っていたたくさんの数学の知識、
まさか今になって必要になるとは思いませんでした。
大人になってから始める勉強は、
どうしても短期的なリターンを求めるものになってしまい、
今必要ではないもの、役に立たないものを勉強しようとはなかなか思えません。
ですが、そうやって今役に立つ知識だけ得ていってしまうと、
どんどん自分の世界が狭くなり、自分の興味の外側へ飛び出すきっかけを失ってしまいます。
たとえ無駄だと思っても、今の自分にとって意味がなくとも、
少しの知識と経験があれば、いつかその分野との接点ができた時に
興味が持てるようになるかもしれません。
すぐに役に立たない知識が世界を広げてくれる
「なぜ勉強するのか」という問いについて考えると
いつもツイッターで見かけた以下の言葉を思い出します。
「勉強をなぜするのか親に訊いたときに、
コップを指して「国語なら『透明なコップに入った濁ったお茶』、
算数なら『200mlのコップに半分以下残っているお茶』、
社会なら『中国産のコップに入った静岡産のお茶』と色々な視点が持てる。
多様な視点や価値観は心を自由にする」というようなことを返された」
今自分にとって必要のない知識だったとしても、
広い分野の知識があれば世界との接点が増え、
自分の興味の範囲が広がり、行動の可能性が広がってきます。
そう考えると、役に立つことばかりを求めた勉強だけでなく、
今つまらなくても話を聞いておくことにも意味があるのかもしれません。
人生いつどこでどんな知識が必要になるかわかりません。
数年後、今度は自分の人生に古典が関わってくるかもしれません。
想像もできませんけど、想像できないのが人生なので、
そんな可能性にも期待したいと思います。
では、明日も良い1日になりますように。
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