こんばんは。土屋 (@tutinoko310)です。

生まれてから18年を佐渡で過ごした自分は、
大学進学とともに新潟市へ引っ越し、
今は新潟市の隣の阿賀野市に住んでいます。

活動の拠点となっているのは新潟市なので、
実家を離れてからはずっと新潟市で暮らしていることになります。

もうすぐ37歳になるので、
いよいよ佐渡で暮らしていた時間より、
新潟市で暮らしている時間の方が長くなります。

とはいえ、そこまで年数が経っている気がせず、
時の流れの早さを痛感する今日この頃です。

さて、こうして新潟市で暮らしているのは
実家にすぐ帰れる場所だったり、
妻の実家が近いという理由が大きいですが、
もちろんこの街が好きだという理由も大きいです。

適度に都会で適度に田舎。
欲しいものはだいたい何でも買えますし、
海も山も田んぼも畑もあって食材は豊富。

友人は絶妙な田舎だと言っていましたが、
まさにその通りでちょうどいい大きさの街です。

加えて、この街に残り続けているのは、
ここに暮らしている人たちと過ごすのが楽しいからです。

先日、知人のライターである長谷川円香さん(@onehap)が、
不動産住宅情報サイトSUUMOに寄稿していた記事にも
自分と同じような考えが書かれていました。

前へ進む人とともに近い距離で過ごせる街「新潟市」 – SUUMOタウン

「会社を退職しても新潟に残る選択をした時もきっかけは人だった」

長谷川さんと同じく、自分もまたここに暮らす人によって残ることを選択した1人です。

人生の大きな転機になる就職活動、
自分は当初大学を卒業したら佐渡に帰ろうと思っていました。

しかし、大学4年間で新潟市に住む人たちとつなかりができ、
特に音楽活動を始めてからはより結びつきが強くなりました。

そして大学4年になって進路を決める時、
さんざん迷った後、今のつながりの中で生きたいと思って、
新潟市に残ることを決めました。

もし充実した学生生活を送っていなかったら、
音楽活動をしていなかったら、
おそらく今ここで暮らしてはいません。

日本の地方はたいていどの土地でも自然が豊かですし、
今の時代、インターネットの力で買い物で不便することも少なくなりました。

全国的に暮らしにくい場所が少なくなっている。

その中で住む場所の決め手となるのは、
今の時代でも人なのだと思います。

むしろ、インターネットで替えのきかない人だからこそ、
決め手となるようにも思えます。

自分が好きな人たちが暮らす場所なら、
きっとそこが自分にとっての都になる。

長谷川さんの新潟市についての記事を読んで、
そんなことを感じました。

では、明日も良い1日になりますように。

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