こんばんは。土屋 (@tutinoko310)です。

自己啓発書を読んでいると、
よく「成長」という言葉が登場します。

成長したければ苦しい時でも我慢して耐え抜くこと、
そんなメッセージが込められているように感じます。

一時期はこうした言葉に後押しされたこともありましたが、
最近はちょっとした拒絶反応を起こすようになってきました。

社会人たるもの、常に努力して成長しなければならない。
こうした考えに息苦しさを感じるようになってきました。

どんなに成長しても、どんなに成果を出しても、
さらなる成長を求められるので、
まるで終わりなき戦いのようです。

成長した先に自分の理想があればいいのですが、
成長した先に待っているのがさらなる成長へのプレッシャーのため、
成長へのモチベーションが失われてしまいます。

全ての人が成長を目指さなくてもいい。
そんなことを最近考えています。

今が理想的な環境にいる人ならば、
ガムシャラに頑張らなくても、
自分が心地いいと思える範囲で働いたり、行動すればいい。

社会のために何かしたければどんどん外に出ていけばいいし、
仕事が楽しければ没頭して時間を投入すればいい。

そうやって万人に成長を求めるより、
個々で違った成長を選択でき、
世間がそれを許容できれば、
もっと生きやすくなるように思います。

全ての人が同じゴールを目指す世界は衰退する

全ての人に同じ成長を求めるような世界では、
少数の適応者と大多数の不適応者に分かれてしまい、
苦しむ人が多くなると思います。

目指すゴールがそれぞれ違い、
自分でそのゴールを選択できるような世界ならば、
理想と現実のギャップに苦しむ人も少なくなるはず。

社会は今、背中を押す人よりも手を引っ張ってくれる人を求めている。
そのように思うのです。

参考: 地方では手を引っ張ってくれる人が求められている

では、明日も良い1日になりますように。

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